めも

情報と媒体の定向なんたら

2005年1月28日

過渡的には、手動で、リンクがみっつ…みたいな?

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リンクするのと、自分も負荷分散に加わるのが同じワンクリックになれば、リンクと転載の利用率が近づく可能性がある。(というかリンクの概念がなくなる。それを他の人にも紹介したいと思ったら、自分もキャッシュする。)しかし、上の「キャッシュに参加」のようなトポロジーが可能になるためには、何か特別なシステムが必要だ… つまり、そのページ自体もP2Pウェブで公開されているという前提だ。「ウェブ拍手」とかいうのがある。作者に拍手を送って作者が嬉しくても、情報側にはあまり実利がない。それよりは気に入った情報はキャッシュしてあげるのが、情報側からみたら嬉しい。キャッシュがないと作者のノードが落ちた瞬間、全てがウェブから失われるので…。 作者を愛するよりも作品を愛する態度だ。作者が「無責任」にサーバダウンしても、作品はおれが守るぞ、と。でも作者を喜ばせる、ということも、長期的に見ると情報側からみても重要なのかな…。

作者と作品は親子と似ていて、子を生んだ瞬間にそれについて親が偉いのはまず絶対確実だろうが、その後は、親が子を虐待してしまうこともある。よい作品であればあるほど作者が死んだ後まで残るべき質を持っているので、絶対に作者まかせにできない。法律上も、作者の死後一定期間たつと公共の財産となることが定められている。

情報の拡散がスピードアップしているのに、作者の死後まで作者に権利が残るのはちょっとおっとりしすぎているというか、作品側から見ると保護責任者が死んでも墓の下の人が保護する「権利」をもっている(しかも「義務」は持っていない)というのは、で作品を誰も使えないって、なんつーか、保護責任者遺棄致死罪みたいな。キャンディーキャンディーとか。まあそれはまたあれだけど…。

むしろこうなんじゃ:

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考え方: P2Pウェブでは閲覧すると自動的にキャッシュされる。しかし、それでは情報側に一方的に有利で、バランス上、人間の判断が低くなりすぎる。「読んだらつまらなかった」というのは重要な情報だから、つまらなかった場合はアンキャッシュするべきだと。「読んだらおもしろかった」ら行動する必要ない。デフォルトでキャッシュされるから。

人間は自分がおもしろいと思うページを読む。つまらないページばかり読んだりしない。デフォルトでは自分が読んだページはおもしろかったページで、読んだらつまらなかった、というのは特殊ケース。

ときどき「リンク先のこの記事はバカげている」と批判したい記事にみだりとリンクする人がいるが、基本的には正しくない。「リンク先はバカげている」は「リンク先は読む価値がない」という主張なのだから、特殊な事情がない限り、読む価値がないものにリンクするのは矛盾だ。

(例外はリンク先を内心尊敬している場合。つまりリンク先の方が自分のノードより権威があると感じている場合。その場合は、自分より偉いと思っている相手を批判することで、いい気分になれる可能性がある。ただし、これは人間心理の問題で、情報中心の見方ではない。)

「リンク先はバカげている」という主張が正しく、説得力があればあるほど、誰もそのリンクをクリックしない(読む価値がないと説得されるので)。他方、この記事はおもしろいから読んでみ、というリンクなら、その紹介の仕方がおもしろければ、たくさんの人がリンクをたどるだろう。後者がリンクのデフォルトだろう。

リンクから無断コピーへとやり方を変える場合も、デフォルトは自動で無断コピーされ、手動でクリア、ということになる。無断コピーというと悪いことみたいだが、キャッシュはあなたのブラウザがこの瞬間にも既にやってること。あなたが知らないだけで、あなた自身も既にやっていること。(なぜキャッシュするのか。その方が表示が速くなるうえ、相手のサーバ負荷も減って、双方にメリットがあるから。それをもっとグローバルにする話だ。無断コピーといってもそれで相手に損害を与えるわけではなく、むしろ相手を助けることになる。)グーグルやウェブアーカイブが無断コピーしてくれているのも公共の利益だろうが、グーグルなどに集中させるのは潜在的に危険。

下のMPCのことを考えてたら、

「情報はそれ自体、広まろう広まろうとする」

「情報を伝える媒体は、なるべくラクをしよう(負荷を少なくしよう)と動く(べきだ)」

という情報の定向進化論を思いつく。…かな??

なぜ定向進化論なのかというと、例えば、おもしろいフラッシュを公開したページは、このままアクセスが増えると転送量オーバーでアカウント停止、などの自滅の危険がある場合でさえ、ますますどんどんアクセスが集中する。これが定向っぽいと思ったところ…。

第2法則の実例のひとつは、なぜ転載よりリンクで済ますのか。 CCのようなライセンスなら、そこには著作権のような従来的問題はない。ではなぜか。単純にリンクなら1秒でできるが、転載はけっこうめんどくさい(コストがかかる)からだ。

だからさ、カンパしないならせめて無断コピーしてよ、と。

書いていて思い出したが、割男・銅鑼の作者さんがサイトを閉鎖したきっかけのひとつは、「コンテンツを転載していいですか」というメール等がうざかったから、らしい。実用的な意味で、頼むから無断でやってくれ忙しいんだから、というのもあるが、あのサイトに対して「転載していいですか」と尋ねることは、ほとんど侮辱に等しいと思う。少なくとも「おまえの言っていることは理解できないよ」という表明だ。

そしてそれは2005年の今では、もう哲学思想などの抽象レベルの問題ではなく、具体的な転送量・帯域・サーバ負荷などのコストの問題になっている…大勢のユーザがブロードバンドという武器を持っているせいで…。

月末近くになって「今月はもういっぱいなのでフォーラムとダウンロードページを閉鎖します」というサイトが出たり(人気がある=有用であるほど存在できなくなる矛盾)、「あのーシードがないんですがー」「作らせておいた上、シードまでさせるのか、このリーチャめ、しね」と怒り狂う人たちがいるのも(何もしないリーチャの不労所得のしわよせが正直モノに及ぶ不合理)、そのせいだ。 (妖精現実 フェアリアル)